流れる川の誘惑者
早くも伊藤美来さんがいかに素晴らしいかをひたすらに書き連ねて褒め称える用の場所となっている当ブログですが、今回もその路線が続きます。
第2回のテーマは、「『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』を体現する伊藤美来さん」です。
記事のタイトルもそんな感じでしょ?(わかってくれることを願う)
「伊藤美来さん=リアルなにゃこ」、という話はみなさんもよく耳にするところだと思います。
直近だとロコドルフェスタでの「これにてロコドルフェスタ閉会…閉園…?えっと、おわり!」といった発言(すぐ書き出しておけばよかった。ロコドルフェスタ後のいくつかのショックで詳細までは頭から飛んでしまった)がイベントといいタイミングといい内容といい奇跡のリアルなにゃこすぎて一部界隈で大いに話題になったことは記憶に新しいですね。
ただ、それはあくまでろこどるのイベントの中での話。(いや、まさかあれを計算ずくでやってるなんて思っているわけではないけどね?)
ここでは、ろこどる関連の活動のみならず今まさに盛り上がっているソロ活動の中でさえも、「ろこどるイズム」とでも言うべき流川市の香りを感じさせるような振る舞いが見受けられるよ、という話をふたつしようと思うのです。
まずひとつ目は伊藤美来さんの1st写真集「むじゃき。」より。
最近は暇さえあれば「伊藤美来」でツイート検索をしてしまうのですが、この写真集に関しては発売直後からやれ脇だのやれ水着だのやれエロいだのと、そういう目で見る感想ばかりが見受けられる有様。
オタク相手の商売なんだからこうなることは目に見えていた。なのになぜあなたは無謀にもガチのビキニで立ち向かっていってしまったのか。なによりろこどる4話で「安易な露出は却って価値を下げる」と沙織さんも言っていたではないか。どうして、どうして…
最初はそう思っていました。
しかし、「むじゃき。」というオタクたちの「じゃき。」丸出しの発言たちとはおよそ対極を行くタイトルのネーミング、10代最後の写真集という触れ込み、このご時世であえて一肌脱いでまで表現した理由、水着のシーンが写真集のクライマックスに据えられているということ…それらを考えたときに、決してこの水着は無意味ではないと自分の中の直感が告げたのです。
そして至った結論、そのカギこそがろこどるでした。ただし、カギとなったのは先程否定的ニュアンスで引き合いに出した4話ではなく、そのひとつ前の3話。
賢明な読者諸氏にはもはや説明するまでもないでしょうが、おさらいの意味も込めて。
ろこどる3話「着てみた。脱いでみた。」は、魚心くん&ゆい先輩初登場の回。
後半には、悪天候の中流山運動公園のステージで魚心くんソングを初披露する場面があります。
このステージの直前、口では大丈夫と言いながら体で全力でギブアップを主張していた奈々子は、ゆかりさんから「じゃあ、いっそのことこれを機に変身してみたら?サナギから蝶になるみたいに」と励まされます。
そんな言葉を受けてステージに立ったものの、魚心くんソングの途中で降り出す雨…
お客さんも雨に気を取られ避難してしまう中、奈々子は「変身、サナギから蝶に」という言葉を思い出し、衣装を脱いで水着姿に!ついでにゆかりさんも水着姿に巻き込んで、ステージは(別の意味で)大盛り上がり…
という内容でした。
ここまででなんとなくおわかりかもしれませんが、言いたいことは要するに「伊藤美来さんもこのろこどる3話を参考にして、10代から20代へ変わるこの瞬間、自らもサナギから蝶に変身するような覚悟で水着姿を写真集のクライマックスに持ってきた」のではないかということです。
というか、この考えに至ってからと言うものそういうメッセージであるとしか受け取れないようになってしまいました。
もしろこどるを念頭に置いた上で身を挺してリアルなにゃこを行なっているのであればこれほどろこどるファンとして嬉しいことはないし、仮に意識せずこういうふうな形にしているのだとしたらそれこそナチュラルボーンなにゃこだし…
そんなわけで、「むじゃき。」に見るろこどるイズムのお話でした。
(以下余談
まあ、なんだかんだ言っても見る人の見方によって印象は全然異なるんでしょうね。
今挙げた解釈はあくまで「最大限ろこどる寄りに都合よく」考えたものですので、これほど「むじゃき。」をろこどるじみた見方で受け取っている人は世の中そう多くはないと思います。
作品というものは得てしてそういう宿命であり、「ヴィーナスの誕生」だってエロガキが見たらヌード絵だろうし、ミケランジェロのダビデ像だって芸術という文脈を一切無視して見ればちんちん丸出しマンと見られかねません。一度作品が世に放たれた以上は受け手がどう取るかは発信側には制御できない、その解釈は全て受け手に委ねられていると大学の講義で習ったような覚えがあります。
なので、私はこういうふうに解釈しましたよ、というのはその人の勝手であり、みなさんがどう感じたかはみなさんの受け取り方次第だし、多様性はあって当然のことなのです。それを咎める権利は誰にもありません。(ただし「みっくでぬっくするブック」呼ばわりする方たち、あなたのそのツイートは私の目に入っているぞ))
さて、ふたつ目のお話は「泡とベルベーヌ」収録曲について。
前回の記事でスクショを貼った9月初頭に先輩に送ったLINEの中には、「泡とベルベーヌ」カップリング曲の「Morning Coffee」「七色Cookie」の曲名はありません。
確かこのタイミングでは曲名すら公開されていなかったんだと思います。
9/4付の「泡とベルベーヌ」のMVに関する記事(声優・伊藤美来、ソロデビューシングル「泡とベルベーヌ」のMVを公開 | マイナビニュース)(いつもありがとうマイナビニュースさん)の中で曲名が記載されていることから、ちょうどこのLINEを送るか送らないかくらいでカップリング曲名が発表されたことがわかります。
それからというもの。
「泡とベルベーヌ」がYoutubeで公開された一方で、このカップリング曲たちは一向に日の目を見ることがありませんでした。
どんな曲なんだろうな、コーヒーとクッキーなんて可愛らしいタイトルだな…と日々思いを巡らせてみるも、まだまだ音源は聞けません。
どこかでチラッと公開されるのかな…?と思っているうちにどんどん発売日が近づき、とうとう10月に突入しますがそれでも音源は聞けません。
この「曲は存在するし、いつかは必ず聞けるはずなんだけど出し惜しみされている」感じに漂うデジャブ。
そうしてついに迎えたCD発売週、「Morning Coffee」「七色Cookie」の2曲が満を持して披露された場所、それは我々ファンが集うバースデーライブの舞台だったのです…
そう、この構図こそまさに、放送終盤の話の中で常に存在を意識させられながらも引っ張りに引っ張られ、ついに最終話で「流川ガールズソング」が解き放たれたあの流れそのものと言えるのではないでしょうか。
「流川ガールズソング」も、作中で最初に披露された(ただしアニメの尺の中では前奏しか流れなかった)のは流川ガールズを常に応援してくれる市民の皆さんを前にした市役所敷地内でのイベントでした。
もし伊藤美来さんがこのエピソードを念頭に置いてあえてカップリング曲を取っておいてくれたのだとすると、そしてその流川ガールズにとっての市役所でのイベントにあたるのが伊藤美来さんにとってのバースデーライブだったのだとすると、これほどファン冥利に尽きることはありません。
というように、なんだか伊藤美来さんの活動を見ているとどことなくろこどるを思い出すことがよくあるのです。
アニメろこどるの一連のイベントは(BDBOX発売を残して)一区切りが付いた形となりましたが、その魂はこうして受け継ぐべき人が受け継いで、(その本人が自覚しているかどうかはさておくとしても)確かにそこにあるのです。
こういうのって、なんだかとっても幸せなことじゃないですか。
という、主張やら感想やら妄想やら願望やら、いろんな思いが入り混じったお話でした。