流川運河のほとりに生えている木

「高尾奏音界隈のデイリースポーツこと弊ブログ」

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【夏コミ同人誌寄稿文再掲】あの日の音 ~ここだからこそ語っておきたい、「細胞プロミネンス」とその歴史~

伊藤美来さんのバースデーイベントにおいて、約2年半ぶりに「細胞プロミネンス」が披露されたそうです。

「されたそうです。(伝聞)」なんですよね。

というのも、今日はその辺の可能性もすべて考慮し、考えに考え抜いた結果『百錬覇王』のお渡し会に行っていたので実際に現地で聴いたわけではないのです。

もちろん「聴きたかったな」という気持ちはあります。あるに決まっていますが、だからといって「百錬を蹴って行けばよかった」という後悔はありません。

お渡し会全通でこの半年で一番レベルの本当に楽しい1日でしたからね。

イベ被りはオタクの永遠のカルマです。こればっかりは分身の術でも使わないと解決できません。

 

それはそれとして、以前の記事でご紹介したように、今年の夏に「細胞プロミネンス」について寄稿した伊藤美来さんの非公式ファンブックをコミケで委託販売させていただきました。

これ、どうやら伊藤美来さん本人のところにも届けられたようです。読んでいるかどうかは知らないですが。

けっこうな力作だと自負しているのですが、今日を以てこの内容が過去のものになってしまいました。今度こそ本当に物語が一巡したのではないかと思います。

 

なので、夏コミで買い求めてくださった方がいらっしゃるにもかかわらず大変申し訳無いのですが、自分の中でのひとつの区切りとしてこの内容を公開させていただきたいと思います。

いわば伊藤美来さんのオタクとしての卒業論文みたいなものです。

(とはいえすっぱりオタクやめるわけではなく、今後も応援していきたいですが)

 

ということで、以下内容を転載いたします。

(発行時に縦書きだったものを漢数字→数字に修正し、時間の経過で変わった内容には注釈を入れております。)

 

 

あの日の音 ~ここだからこそ語っておきたい、「細胞プロミネンス」とその歴史~


 時は遡ること3年弱前。2015年夏、TVアニメ『ミリオンドール』が世に送り出された。
自身もアイドルのオタクである藍先生の原作と、『てーきゅう』『ヤマノススメ』などで知られるアース・スター エンターテイメントをはじめとした製作委員会による、地下アイドルの世界を舞台にした群像劇である。
 作品自体の評価はさておくこととして、当作は1クールの5分アニメにもかかわらず6曲もの主題歌・挿入歌を持っていた。そして、結果的にそれらは作品の枠を越えて後世に様々な影響を残すこととなったのだ。
 その最たる例こそ今回取り上げる「細胞プロミネンス」。伊藤美来さんのこれまで歌ってきた中で最も熱い一曲である。

 

 最初に「細胞プロミネンス」が披露されたのはその2015年夏、アニメ放送の真っ只中に行われた「ミリオンドール 第二回ファンミーティング」の場であった。
 当時運良くその場に居合わせることができたが、秋葉原AKIBAカルチャーズ劇場(収容者数約300人)にて、アニメの出演者と実際にアイドルとして活動している方々を招いて行われた作品の雰囲気さながらのトーク&ライブイベントだったと記憶している。
ここで初のCD先行販売、またこの曲がオープニングとして初めて使われた回(第6話)がこの日最速上映のため、正真正銘の初披露の場である。その時点から概ね評価は高く、個人的には「遅れてきた今期オープニング最高傑作」と喧伝して回っていた記憶がある。
 その後地上波での本放送でも「細胞プロミネンス」が流れ出すようになり、CDも発売されミリオンドールのファンミーティングも第3回、第4回と開催されるうちに当時のコアなオタク層からは一定の支持を集めるようになっていったのではないだろうか。(個人的には残念ながらこの第3回、第4回のファンミーティングには行けていないのだが、実はこの2件こそが後に「細胞プロミネンス」をカバーすることになるアース・スター ドリーム伊藤美来さんの数少ない邂逅である)
 そして迎えた2015年秋、ここにひとつの完成形を見たと(個人的には)言える「細胞プロミネンス」の披露があった。
オールスタンディングの新宿ReNY(収容者数約800人)で行われたバースデーライブ。ミリオンライブ、【ろこどる】、StylipS曲など、これまでの集大成と言えるようなセットリストが披露される中に「細胞プロミネンス」も名を連ねていたのだが、この日はその間奏で「もっと…上に行きたい!」という、『ミリオンドール』作中のマリ子の台詞が叫ばれた。
単なる粋な演出と捉えることもできるだろうが、今になって考えるとひょっとしたらこれには伊藤美来さん本人の心に秘めた「上に行きたい」という願い、言い換えればメジャーデビューへの願いも込められていたのではないか、というように思う。それだけステージ上から伝わってくる魂もあったし、だからこそ今も心の中に残っているのであろう。

 

 そこからは、最も和やかな雰囲気で歌われた文化放送ディアプラスホールでのミリオンドールラジオ大打ち上げパーティー(収容者数約150人)、そして再びマリ子の台詞が叫ばれた2016年1月の一ツ橋ホール(収容者数約800人、確か一部分を閉鎖していた)でのミリオンドールBD発売記念イベントを経て、現状では伊藤美来さんにより「細胞プロミネンス」が披露された最後の場である2016年5月の伊藤美来ファンミーティングへと至る。
 2015年バースデーライブぶりの新宿ReNYにて行われ、アーティストとしてのメジャーデビューが発表されたこのファンミーティングにおいては、「Prism Sympathy」「ミライファンファーレ」といった代表曲が披露される一方で、「細胞プロミネンス」において過去2度あったマリ子の台詞が挟まれることはなかったのだった。
 メジャーデビュー、つまり「上」の舞台へ行けることになった発表がされた後で歌われた「細胞プロミネンス」で「上に行きたい」という願いが叫ばれなかった。この事実こそ、先述の「心に秘めたメジャーデビューへの願い」説の根拠である。
 2016年秋、品川インターシティホール(座席+スタンディングで収容者数約800人程度か?)のバースデーライブは、「泡とベルベーヌ」を引っさげてのアーティストとしての第一歩となるライブという位置づけだったと言ってもいいだろう。この頃には既に「細胞プロミネンス」はキラーチューンとしての確固たる地位を築いており、この日も披露されることが大いに期待されていた。しかし、蓋を開けてみれば結果はご存知の通り。以降、現在(2018年6月)に至るまで伊藤美来さんの口から「細胞プロミネンス」が歌われたことは一度もない。

 

 では、なぜ伊藤美来さんによる「細胞プロミネンス」は姿を消してしまったのだろうか。
 彼女はよく、ライブにおいてアニメの主題歌やキャラソンを歌うことを「キャラの力を借りる」と表現する。(キャラに対する心からのリスペクトが感じられる、彼女らしいとても良い表現だと思う)2017年のバースデーライブでは、特撮カバー以外は全て自分名義の曲という構成を行い、「キャラの力を借りず、自分の力でライブができた」という旨を語っていた。表現を変えれば、声優という職業において必要不可欠な声を吹き込む対象=キャラクターとの関係を持ち込まず「伊藤美来」そのものとしてライブに臨んだ、つまり「声優・伊藤美来」としてではなく「アーティスト・伊藤美来」としてのライブだったと言えるのではないだろうか。
 2015年から続く一連のバースデーライブは「Miku’s Adventures」というタイトルで紐付けられているが、そういった観点で考えれば年々内容は変質しており、またそれ故にまさに表題通りの「伊藤美来の冒険」そのものとなっているのだ。
 話は逸れたが、先程の疑問に対する答えはつまるところ「細胞プロミネンス」(に限らず「ミライファンファーレ」など他の代表曲も)は「声優・伊藤美来」としての持ち歌だが、今行われているのは「アーティスト・伊藤美来」としてのライブであるため、ということになるだろう。
このあたりは考察の域を出ないが、とにかく事実として伊藤美来さんは2016年5月を最後に「細胞プロミネンス」を歌っていないのだ。

 

 さて、その傍らのお話。もうひとつの「細胞プロミネンス」の物語が萌芽していた。
 前述の通り、『ミリオンドール』はアース・スター エンターテイメント(以下、ESE)をはじめとした製作委員会によりアニメ化がなされた。その関係で、主題歌・挿入歌がみなESE所属の声優アイドルユニット「アース・スター ドリーム(以下、ESD)」によってカバーされていた。
 ESDは月一程度のペースで定期公演を行い、ライブのあとには特典会で握手やチェキ撮影があるなど、声優界の中では最もアイドル寄りと言える立ち位置にあるユニットだった。ESEが運営しているユニットということもあり、『てーきゅう』『世界でいちばん強くなりたい!』などの自社アニメの曲をカバーしていたのだが、中でも『ミリオンドール』の曲は特に両者の雰囲気がマッチし、(カバーにも関わらず)代表曲としての地位を確立していった。
 自分の知る限りでは2016年初頭、『ミリオンドール』BD発売記念イベントの頃には既にライブの中でのカバー披露は行われていたそうなのだが、同年11月に発売されたシングル「君色に染まる~アース・スター ドリームver.~」にてカップリング曲として「細胞プロミネンス」を収録。奇しくも、伊藤美来さんがそれを歌わなかったバースデーライブのちょうど一ヶ月後のことであった。
 かねてから「細胞プロミネンス」カバーのCD化を望む声は大きかったと聞いた覚えがあるが、伊藤美来さんご出演の『魔法少女なんてもういいですから。』の主題歌である「君色に染まる」のカップリングにぶつけてくるというのはなかなかに攻めたチョイスである。(ただ、その攻めたチョイスも結局の所「細胞プロミネンス」目当てでESD現場に来てそのまま定着したオタクが(自分を除き)ほぼいなかったという結果に終わってしまうのだが)
 自分自身は「君色に染まる」発売の1ヶ月後、2016年12月にディファ有明(ESDはこの日この場所に1000人集めることを目標として活動を繰り広げていたが、結果770人ほどの集客であった)で行われた二周年ライブの場で初めてESDを目にした。そこでの「細胞プロミネンス」は、全17曲という当時のESD史上最多のボリュームで行われたライブの大トリとして用いられる。「目指していた1000人という目標を達成できなかった」という悔しい思いと、ここで示された「三周年ライブで再び1000人を目指す」という新たな道標。皮肉なほどに「細胞プロミネンス」の情景が似合っていた。
 以降、「細胞プロミネンス」のその後、そして何よりESD自体が気になり、徐々にライブに通い出すようになった。さっそくその月に行われたクリスマスライブに行ったものの、そのときは「細胞プロミネンス」を聴くことはできなかった。てっきり最終奥義として隠し持っているのかと思ったが、次に行った二月のバレンタインライブ以降は毎回のように歌われていたのだった。

 

 このあたりで、伊藤美来さんとESDの「細胞プロミネンス」、その両者の違いについて触れておこう。
 伊藤美来さんが公の場で「細胞プロミネンス」を歌ったのが計10回にも満たないのに対し、ESDのそれは(自分の見た2017年だけの概算でも)優に倍を越える。
ましてESD現場はとにかく騒がしく、様々なコール・mixの類がその時々の気分や状況に合わせて日替わりのように繰り出されるタイプの現場。場数が少ない上、イベントの種類もバラバラだったことでコールが定着しなかった伊藤美来さんの現場とは対照的に、ESD現場では回数を重ねるごとに独自に進化・発展を遂げていった。
 具体的な例を挙げていく。(以下、手拍子を×と表記する)
 両者ともイントロ・間奏にmixが打たれるのは変わらないが、始動が異なる。伊藤美来さんの現場ではStylipS現場からの流れで「あ~~(××)ジャージャー」が用いられていたのに対し、ESDでは地下アイドル現場寄りの「(× ××× ×)しゃー行くぞ」から。前者はいわゆるスタンダード、「タイガーファイヤー(中略)ジャージャー」で終わったのに対し、後者は余り尺に「ファイボーワイパー」が挟まれていた。(アイドル現場において、一般的には余り尺発生に対しては後者の対応が多いが、StylipSではおおよそスタンダード尺で事足りていたためファイボーワイパーに繋ぐ発想が共有されていなかったのではないだろうか。こういう差異の一つを取っても現場の背景が垣間見えるのが面白い)
 また、一番サビ前にESDのみ「イェッタイガファイボワイパー」が挟まる。これに関しては、伊藤美来さんが「細胞プロミネンス」を歌っていた時期と声優現場でイェッタイガーの類が認知された時期のズレもあるだろう。(2016年の「泡とベルベーヌ」発売日イベントで雰囲気に全く合わないイェッタイガーを聴いたのは覚えているので、そのあたりまでには広まりを見せていたはずだが)
 さらに、ESDではサビ終わりの「体中の細胞 叩き起こすんだ」の部分に「(ウッ)オイ (ウッ)オイ」が被さる。最初に聞いたときはとても驚いたが、これも独自の進化のひとつと言えよう。(ただし、これだと伊藤美来さんの振り付けで印象的な「叩き起こすんだ」のところで胸を叩くワンシーンが霞んでしまうという面は否めない。ここでの振り付けもメンバーの裁量に任されている部分はあった。しかし、それでも自分だけはと思い毎回胸を叩いていたところ、ある日のライブで―この本を手に取ってくださっているあなたにもあにトレ!共演者としておなじみであろう―高尾奏音さんもそこをしっかりやっていてくれていたことに気づいた。信用の塊である)
 加えて、ESDではラスサビマサイの概念も存在した。(ラスサビマサイ…ラストのサビでマサイ=連続ジャンプを行うこと。今や伊藤美来さんのライブではジャンプ自体機会が無くなってしまっているが、盛り上がりの手段として個人的にはとても好きな行為である)
 最後に、アウトロにはアイヌ語mix(ウィスペ ケスィ スィスパー)を入れる向きもあった…などなど、割と好き勝手にチューンアップされていた。ある意味、『ミリオンドール』の世界観にはより近いと言えるのではないだろうか。

 

 本題に戻ろう。とにかく、「細胞プロミネンス」はESD現場ではESD現場なりの愛され方で歴史を重ねていったのである。
 普段の定期公演のみならず、あるときは東大学園祭の安田講堂前で、またあるときはただの平日の夕方に大阪で行われたESDのオタク10人前後vs知らん他所のオタク数百人という絶望的な対バンで、はたまた肉フェスやリアニといったアツい野外ステージでと、実に様々なところでその音は響き渡ることとなる。
 そんな中で「細胞プロミネンス」を独自に進化させていったのはオタクサイドだけではなかった。
 2017年の春~初夏あたりで、「細胞プロミネンス」はライブのラストスパート、「とってもサファリ」「ファッとして桃源郷」「Qunka!」といった盛り上がる曲をノンストップで歌い続ける流れの締めに使われる曲というポジションを確立していった。それと時を同じくして、この年『シンデレラガールズ』乙倉悠貴役に抜擢され一気に注目を集めたESDのエース・中島由貴さんがイントロで自慢のハスキーボイスを全力でブン回し「ラストォォォ!細胞プロミネンス!」という煽りを入れるのがお約束となっていったのだ(伊藤美来さんのライブで細胞プロミネンスがラストだったことはただの一度もなかったにも関わらず)。みるみるうちにスターダムを駆け上がる彼女の姿と歌詞を重ね合わせ、「細胞プロミネンスは中島由貴の曲である」と言い放つ者まで現れた(元はマリ子のキャラソンであるにも関わらず)。
 その「中島由貴の曲」は流石にユニークが過ぎる意見だとしても、ESDの中で最もこの曲を使いこなしていたのは彼女だということは事実である。「ラスト細胞プロミネンス」に留まらず、振り付けのアドリブや、イントロで「Are you ready?」などと挟みだすときも。守・破・離という言葉があるが、まさにそのとおりに既存の枠にとらわれない自由な発想でライブを盛り上げていた。その点は一定の評価に値する。
 そんな中島さんであったが、2017年10月に年内でのESDからの卒業を発表する。
 発表当時は衝撃が走る一方、9月に行われた中島由貴生誕祭ライブでは収容者数約300人の表参道GROUNDでチケットが完売(二周年記念ライブを除けば当時最多)、ESD内で唯一のTwitterフォロワー5桁、特典会の列が一人だけいつまでも終わらないといったずば抜けた人気を目の当たりにしていたオタクからは納得の声も上がっていた。もはやESDという枠組みに収まりきらないほど、彼女の人気は広がりを見せつつあったのである。
 その追い風もあり、12月9日にディファ有明で行われた3周年記念ライブには1000人こそ達成できなかったものの歴代最多の820人を集客した。(数字だけ見れば前年比50人の増加だが、2周年の際は決死の集客キャンペーンが打たれていたのに対し3周年はさほど運営の仕掛けがなかった上、当日は―これをお読みのあなたにも心あたりがあるかもしれないが―よりによってすぐ近くの豊洲PITにて人気声優が多数集結する、どころかよりによって伊藤美来さんが出演するライブが後出しで重なってしまった上での増加である。十分評価できる結果だという主張はしておきたい)
 史上最大の舞台での「細胞プロミネンス」は、実はオリジナルを歌う伊藤美来さんの預かり知らぬ場所で、しかしその目と鼻の先で繰り広げられていたのである。
 しかし、ずっと目標としていた3周年記念ライブが成功裏に終わった余韻も冷めやらぬそのわずか5日後の12月14日。再びESDのオタクに激震が走ることとなる。
 メンバーのうちの2名、愛原ありささんと谷尻まりあさんの卒業が発表されたのである。その上更に追い討ちをかけるかのように年内でのESDの活動休止が告げられ、元々中島さんの卒業ライブが12月28日に予定されていたところ、翌12月29日に愛原さん・谷尻さん両名の卒業ライブとESD活動休止ライブが行われるという運びとなった。(あと2週間しかない段階で…)
 必然、ESDによる「細胞プロミネンス」の歴史もそこでフィナーレということ。
 まずは世間では仕事納めの28日、収容者数700人と言われる白金高輪SELENE b2にて、昼夜2公演で中島さんの卒業ライブが行われた。これから羽ばたいていくことが期待される中島さんの巣立ちの時に数多くの人が訪れ、誰もが別れを惜しみ、特典会は大層長引いたのだった。
 翌日。渋谷の少し先、三軒茶屋と池尻大橋の間に位置する国立音楽院(収容者数は200人程度であろうか)をオールスタンディングでぎっしりと埋め尽くした中で行われた愛原さん・谷尻さんの卒業ライブにおいて、中島さんの巣立ったあとの「細胞プロミネンス」が歌われた。これまでにもスケジュールの都合で中島さん不在の「細胞プロミネンス」は幾度かあったが、それとは質の違う喪失感を纏う一曲であった。仕方のないことではあるが、あのダミ声が無性に恋しくなる心地を多くのオタクが抱いたことであろう。
 とうとう夜の部はESDの活動休止ライブである。あの曲もこの曲も、楽しかったけどこれで最後。そんな心境の中で過ごすおしまいの日というのは異様な盛り上がりを見せるものなのであるとその時初めて知った。
 そして、遂にESD最後となる「細胞プロミネンス」のイントロが流れ出す。いよいよこれで本当に最後か…と思ったその瞬間、どこからか何度も聞いた、しかしステージ上の誰のものでもない「ラストォォォ!細胞プロミネンス!」という声とともに、舞台袖から飛び出してくる“昨日卒業したはずの”中島由貴さん。
 それを目にし、悲鳴を上げる者、雄叫びを上げる者、感極まる者。オリジナルではないが、オリジナルにはない物語がそこにはあった。

  ESDの最後、国立音楽院は小さい箱だった。小さい箱だったが、「細胞プロミネンス」が確かにその中を溢れんばかりに満たし、響いていたのであった。

 年が明けて2018年。正月気分も冷めやらぬ1月早々、秋葉原ZEST(公称200人だが、そんなに入ったらギュウギュウ詰めになるだろう)には元ESDの二人、小出ひかるさんと高尾奏音さんによるユニット「ひかのん」の姿があった。
 ひかのんはESD二周年記念ライブの直後、2016年末のクリスマスライブ内で産声を上げ、ユニット内ユニットという位置づけながらも2017年夏にはアニメ『無責任ギャラクシー☆タイラー』で主役を務め、その主題歌のCDでデビューを飾るなど精力的な活動を見せていた。(StylipSのライブ内での「ジェリービーンズ・ダイアリー」くらいのポジション、が近い)
 ESDの流れを汲むユニットとして注目される中での新年一発目のライブ。ESD時代の曲を除けば持ち曲がろくにない状態のため必然的にカバー曲が中心となったが、every♡ing!、ゆいかおり、更にはPyxisという声優ユニット満漢全席(このときは「ダイスキ×じゃない」を披露)。大いに会場を沸かせたのだった。
 そこにとどめを刺すかのごとく、かつてのそれに比べかわいらしさのある「ラストー!細胞プロミネンス!」の声が響いた。それまで6人で歌ってきた曲を2人で背負ったということもあったせいか少し歌詞を間違えてしまう一幕もあったが、それはそれとしてESDなき後もひかのんがその系譜を継いでいくものと確信させるには十分すぎるパフォーマンスだった。
 …が。幸先のいいスタートを切ったように見えた矢先に、またしても衝撃が走る。
 3月2日、小出ひかるさんの3月いっぱいでのESE退所と、それに伴うひかのんの活動休止が発表されたのだ。
 そして、そのラストライブが発表のわずか9日後、3月11日に行われた。ESD最後の日と同じ国立音楽院で、今度は客席前半分を座席として100人強が見守る中でのライブとなった。
 パフォーマンスといい熱量といい、活動休止するにはあまりにも惜しいライブの中、もう二度とない「ラストー!細胞プロミネンス!」が叫ばれる。個人的には、このときが本当に最後になるのだろうという覚悟で臨んでいたし、伊藤美来さんが歌わなくなってから2年近くが経つこの時まで顛末を見届けることができたのは心からの本望であるとも思っていた。
 幸いにして、このときの模様は2018年6月現在も(注:2018/10の時点でも)YoutubeのESE公式チャンネルに映像として残っている。

www.youtube.com

 この映像だけをいきなり見た方がどのような感想を抱くのか、もはや自分には想像もし得ないが、この日の「細胞プロミネンス」こそがここまで綴ってきたような長い歴史の末に辿り着いた終着点なのであるということが拙文で少しでもお伝えできていたとしたらこの上なき幸いである。

 

 こうして長きにわたる「細胞プロミネンス」の歴史はひとまずの終止符を打ったかに思われたが、実はひかのんのラストライブの少し後、3月下旬にもう一度だけ「細胞プロミネンス」を聴く機会があった。
 上月せれなさんという、かつてESDとの関わりが深かったアイドルが主催した対バンにて、当時無所属の身であった谷尻まりあさんが当時からの縁で久しぶりにライブの舞台に立った。
 「ライブモンスター」の異名を取る上月せれなさんのライブは、ライブハウスの縦幅をいっぱいに使ったダッシュケチャをはじめ毎度毎度非常に熱く激しいものである。
 翻って谷尻さんは、ESD時代のソロ曲では映画『君の名は。』から「なんでもないや」、欅坂46から「サイレントマジョリティー」をカバーする、およそこのドッカンドッカン沸かせるタイプのライブとは対照的なオーラのある、心優しい女性である。(人格の根本が非常にまっすぐで思慮深く、イメージカラーが青色。水色と青は同一ではないにせよ、その水色を連想してしまう自分がいる。)
 そんな彼女が、「ライブモンスター」の対バンというフィールドに「細胞プロミネンス」を携えて臨んだのだ。
 ESDオタクの残党が多く駆けつけたこと、場の特性、そして何より本人曰く「ひかのんまで活動休止したらライブで歌う人がいなくなっちゃうと思って」という、ただ歌われるものを享受することしかできない聴く側に寄り添った心遣い。彼女が伊藤美来さんのライブの状況についてどれだけ知っていたかはわからないし、恐らくそこに対する特段の意図はなかったであろう。だが、この日の「細胞プロミネンス」のチョイスの仕方は2年近くの長い間ずっと待ち望んでいた理想形そのものであった。
 ライブ後に特典会があり、その場にいた数少ない伊藤美来さんのオタクとしての「ライブで歌う人がもういない」という点は本当にその通りであるという見解と、それ以上に溢れる「細胞プロミネンス」を歌ってくれたことに対する心からの感謝を伝えることができた。
 そして、これを最後に今日に至るまで「細胞プロミネンス」がESDメンバーによって歌われたことは一度もない。

 

 その谷尻さんのライブに前後して、ESEが声優マネジメント事業から撤退することが発表となった。その時点では12月末で卒業した愛原さん・谷尻さん以外の4人はESD活動休止以降も引き続きESEに所属していたが、ESDの系譜は突如として、事務所ごと消え去ってしまったのだった。
 それどころか、4月に入るとESEという企業自体も社長が持つ別の会社主導の吸収合併により消滅してしまった。(それらの公告もホームページ等に掲載はされたものの極めてひっそりとしており、そして速やかに表からは消されてしまっている)
 それから。かつてESDのエースとして君臨していた中島由貴さんは、今は元ESDのプロデューサーが立ち上げた合同会社の事務所に所属し活動している。ESD現場に大いなる追い風を吹き込んだ『シンデレラガールズ』に続き、伊藤美来さんも出演している『BanG Dream!』にて遠藤ゆりかさんの後任を務めることが決まるなど破竹の勢いはそのままに活躍を続けているが、一方でESD現場において「細胞プロミネンス」をはじめとした熱い楽曲の数々で猛威を振るったその姿は見る影もなく、今やライブ会場では「高度なジャンプ禁止」などという愉快なレギュレーションが掲げられている。ソロ活動開始当初は「細胞プロミネンス」を継ぐのではないかという予想もあったが、今のところその気配は一切ない。ESD時代の曲では唯一「君色に染まる」を、それもESDバージョンではなくボカロ曲として発表されたオリジナルバージョンで歌ったのみである。
 ひかのんのひかこと小出ひかるさんは、ESEを卒業した直後の4月からディアステージに所属することが発表され、「小珠(こたま)ひかる」と改名した。今のところ「小珠」としての表立った活動は春先に出た舞台のみであるが(注:つい先日、9/29に「ディア☆カラ」というイベントで久々に表舞台に。歌もこれまで以上に上手くなり、元気そうで何よりでした)、ESDでもひかのんでも、その歌声は多くの人の心を動かした。これからも、声で、演技で、そして歌でより多くの人の心に光を届けてほしいものである。
 ひかのんののんこと高尾奏音さんは、具体名は伏せているものの4月以降どこかの声優養成所に所属している。(注:その後、9/10の16歳の誕生日にリンク・プランの養成所に通いつつ仕事を見ていただいている旨発表あり。

https://twitter.com/Kanon_Takao/status/1038804366059167744

(それまで毎日のように上がっていた自撮りに一切顔出しが無くなってしまったので、それなりに規律のある養成所であることが伺える)「声優としてゼロから勉強し直す」という宣言があり数年はかかるのかと覚悟していたところ、スマートフォン向けゲーム『マギアレコード』や2018年夏の30分アニメ『百錬の覇王と聖約の戦乙女』出演など、これまで以上に活躍の幅を広げている。そう遠くない将来、皆さんの耳にもその名声が届くことだろう。
 今のところ最後に「細胞プロミネンス」を響かせた谷尻まりあさんは、5月に声優事務所オブジェクトへ所属することとなった。舞台への出演のほか、2次元アイドルプロジェクト「DreamingDays」への出演も決定している(中国をターゲットにしたプロジェクトということで、豊田萌絵さんの『アイドルメモリーズ』を連想してしまう)。オブジェクト所属後、再び上月せれなさん主催の対バンに出演する機会があったが、そこにはもう「細胞プロミネンス」の姿はなかった。
 かくして、「細胞プロミネンス」が歌われる正統な場は遂になくなってしまったのである。ESEすら消え去った今、その権利の所在もはっきりしない。果たして、次にライブで耳にする機会はやってくるのであろうか――

 

 これが、「細胞プロミネンス」が紆余曲折を経て歩んできた歴史のハイライトである。
起源である『ミリオンドール』が約半年強で一連の展開を終え、伊藤美来さんが発売から1年にも満たないうちにライブで歌わなくなってしまったのに対し、実はESDとそのメンバーによりもうひとつの物語が長い間紡がれ続けていたのだ。
 しかし、「細胞プロミネンス」は行く先々で絶大な人気を誇りながらも、こうして最後には歌われなくなってしまう。このような数奇な運命を辿る曲というのもなかなかないだろう。

 

 今回、伊藤美来さんのファンブックという場ながら直接的にはほぼ関係のないESDの話題を披露する形となってしまったが、それは我々の愛した「細胞プロミネンス」が場所は変われど素晴らしかったという事実を共有したかった一心によるものである。
 ESDによるカバーに対して賛否両論があったことは事実である(というより否の声が多かったように思う)し、その気持ちも理解するところであるという点は表明しておかねばなるまい。(実際、今後急に伊藤美来さんにもESDにも何の関係もないライブでカバーされたらあまり自分自身いい気分はしないだろう)
 ただ、それを踏まえてもなお、他でもない伊藤美来さんのファンである貴方にこそ、これらの歴史はぜひ伝えたいと思い筆を執った次第である。

 

 さて、こうして「細胞プロミネンス」はその長い旅を遂に終えた。
 カバーしたユニットも今は無く、正統なる歌い手はオリジナルを歌った伊藤美来さんを除き他にいない。
 いつの日か、あの日の音を再び響かせる彼女の姿を信じて待ち続けたい。