流川運河のほとりに生えている木

「高尾奏音界隈のデイリースポーツこと弊ブログ」

\( 'ω')/ヘーイ 高尾奏音さんの情報・イベントレポに関しては日本一を自負するブログです。

柏からReNYへ 〜天宮るなさんご卒業に寄せて〜

\( 'ω')/ヘーイ

 

今年も9月10日ということでのんのんこと高尾奏音さん22歳のお誕生日なんですが、今年はラジオ番組開始おめでとうの話題でほぼ持ちきりになっているので特に「楽しみニスねぇ〜(オブリビオニス)」ということだけです。

 

それはそれとして、今年の9月10日は弊ブログでも何度か名前を挙げてきたハニースパイスRe.の天宮るなさんの卒業ライブがありました。

今回ばかりはそっちのお話です。

 

 

 

実はあいみゅうよりも早かった出会い

自分の中でのここまでの大きな流れとして、ESDが活動終了してライブからは一歩置く〜百連覇王真剣部等々、のんのんリンクプラン初期〜IDOLY PRIDE黎明期〜新型コロナ〜あいみゅう活動開始でライブ再訪開始、という変遷を経て今に至るのですが、実はるなちゃんとの出会いはあいみゅうが活動を始めるちょっと前に遡ります。

2020年初頭、のんのんがアイプラの活動を通してESD・ひかのん以来数年ぶりにライブステージに復帰するということで非常に期待が高まったのも束の間、世界は新型コロナの闇に包まれてしまいました。本当だったらその5月にアンフィシアターで初イベントをやるはずだったんですよね。

それからというもの、世の中から一切のイベントごとが消え失せ、一時はちょっとした外出すらも憚られる雰囲気さえもあったのが懐かしいくらいですが、とりわけコロナ初期にライブハウスでクラスターが発生したことがことさら槍玉に挙げられ、ライブイベント界は世間の強い風当たりを受けていました。

自分はというとコロナ前後の当時はのんのんのイベントがなければ特にどこか出かけることもなかったので劇的にダメージを受けるほどではなかったのですが、やはりまあまあ虚無だったなぁと思います。虚無の反動で、ときどき緩んだ感染対策の隙間を縫ってアイプラのポップアップストア全店初日開店凸をするためだけに大阪名古屋に行ったりしてたくらいには持て余していました。当時はまだ何も動いていないコンテンツで、アイプラの列だけあまりにも誰もいなさすぎて開店列案内され忘れるみたいなこともありました

まあそんな調子で過ごしていたら、秋には幕張でリアルイベントがようやく開催され、その後21年頭には無事アニメが始まり、そうなると毎週のように考察記事を書いては上げ書いては上げで、今思い返しても後にも先にもない熱量でやっていたなと思います。

今この頃のことを見返すと意外と秋以降Jリーグは見に行けてたみたいで、柏の準優勝に終わったルヴァンカップもこの年でしたね。

 

前置きが長くなりましたが、るなちゃんとの出会いはそんなアイプラのアニメ終了〜アプリ配信開始までのまたちょっと暇になった時期のことでした。

マジでたまたまタイムラインに「柏ThumbUpで無銭ライブ」という情報を見かけ、ずいぶん長いことライブハウスに行っていないなということで知らん女たちだけど本当になんとなく行ってみたんですよね。無銭だし。

ThumbUp自体近所ながら、昔小学生くらいの頃(既にイオンができていたはずなので2005〜6年あたりだろうか)にTMNの木根さんのソロイベントがあるからと母親(80年代当時からの木根さんのオタク)に連れて行かれたっきり足を踏み入れたことがなかったので行ってみたいなというのもあり。

そんな中でずば抜けて顔がいい女がいて、無銭でライブは見させていただいているしということでお布施のつもりでチェキ券買って撮ったのがのちの天宮るなさんだった、というわけです。(新規無料のチェキの権利もあって、柏公演担当だったというメンバーと撮ったけどそちらの方とはその後特に何もなく今に至る)

でも当時は読みは同じでも天宮瑠那と名乗っていてめちゃくちゃつよそうだったし、ド金髪だったのもあり名前とあいまってマジでギャルのかただと思って「いや顔はいいんだがギャルは怖いな」と思って、その場では「久々にライブハウスでのライブを見て、オタクのマサイも久々に見られてよかった〜」で終わってたんですよね。

(2億8000万年ぶりくらいにマサイを見て笑顔になるのなかわの様子)

 

グループ自体がそれほど刺さったかというと残念ながらそうでもなく、2度目は特にないかな〜けど顔のいい女とチェキが撮れたねよかった~(そもそもチェキを撮ること自体数年ぶりであった)で、先ほど挙げたように暇を持て余して突拍子もないことをしたうちの一つで済むような感じでした。でも記念にTwitterはフォローしてたようである。

なんか「これだけ顔がよい女であるのだからファン山ほどいるんだろうな」という印象?先入観?を持っていて、その後何やら別のグループに移籍したというのを視界の片隅で見かけたときにも「やはり人気だから大きめのグループに行くのだなぁ、そりゃそうだ」と思った覚えがあります。

 

21年5月末、この頃はあいみゅうがオーディションやったかどうかの時期です。

アイプラ経由で利根川さんのアカウントはフォローしていたため気合いの入った告知はなんとなく視界の片隅に入っていたものの、「I‘m with you、のんのんの持ち曲と同じ名前じゃねーか」程度にしか認識していなかったので、その後見に行くことになるのかどうかも特に考えていなかったし、まして例の“柏に来た顔のいい女“とその利根川さんが始めるユニットが結びつくことになろうとは夢にも思っていませんでした。

 

振り返ってみると、「気まぐれに突拍子もなくライブ見に行った、顔がいいからチェキ撮った」から始まり、こうして3年ちょっとの時を経てガッツリ卒業まで見届けてブログに綴っているのだから人生はほんとわからないものです。

その後こうして今に至るまでの関係性はすごく自分の中でもかけがえのないものだし、適切なタイミングで仲を深められたなとも思っているんですが、仮に運命がごくわずかにでもズレていようもんなら「この日のThumbUpで天宮瑠那さんのオタクとして始まっていて、この直後に移籍することとなるハニスパでIDOLY PRIDEにも曲を書いている利根川さんの楽曲がもたらされて僥倖〜〜〜!!って言ってそのままハニーズ化して2024年9月10日は最前で大号泣していた世界線」もあり得たなと特にこの数日、これまでのことを振り返っていて考えるところではあります。そうなっていたとしたらこないだのプリュの韓国遠征に喜んで柏のACLユニフォームを着ていったであろうアナザーのなかわの姿が目に浮かぶぜ。

 

ふさわしい再会

その21年5月末の「久しぶりにライブハウス行った」からちょっと経った8月、あいみゅうがデビューします。

この頃にはやっぱり暇を持て余しており、物見遊山のつもりでデビュー2日目の野外ライブへ出向いたつもりが1ヶ月前後のうちにあれよあれよとあいみゅうのオタクになっていました。

面白いのが、UPローチを見に行ったときは「顔、良!w」でチェキを撮るのを即決しつつも通うところまで至っていないくせに、あいみゅうは通ってる割に推しの決定まではその後丸3ヶ月を要してるんですよこの男。

でもウナチャンにも「この子これだけ可愛いのだからすぐに人気になるだろうなぁ」とルナチャンの初見時と近い印象を持ってて、結局これは「人気出るんだろうなぁ」と第三者目線で評している割にただただ自分の好みなだけだったということが最近ようやく自分でもわかってきました。斜構の一種と見ていいでしょう。

 

デビューから3ヶ月して、11月に1stE.P.のリリースを終えたあいみゅうは、そこからいよいよいっぱしのグループとして外交を始めます。

今はもうなくなっちゃったけど当時はそうした目的でのツーマンを「あいみゅにけーしょん」と称し、いろいろなグループと交流を持つようになっていきました。

その相手のひとつが、新体制での新たなスタートをWicky楽曲とともにスタートさせたところで事務所同士縁の生まれていたハニスパでした。

 

22年の初頭、当時の自分はまだ全然この界隈の右も左もわかっていなかった状態だったので、対バン相手に多少なりとも見かけたことのある人がいるというのは極めて異例でした。

流石にそれは縁だなと思いペンライトをオレンジに光らせながらライブを見て、その後こりゃ挨拶しとかんとなと思い「以前柏の無銭ライブで一度見ました」という話で二度目ましてをしたところまさかの事実が発覚してその場で何枚も撮ったのでした。

その時の驚きは今でも忘れられません。

(感動に満ちた当時のツイート)(こんなん言ってる割に対バン相手にいることに気付いたの当日とかだったような覚えもあるが)

 

これをきっかけに、以降長年に渡る交流が始まっていくのでした。

 

数々の思い出

そんな「あいみゅにけーしょん」から始まった2022年でしたが、この年からはあいみゅうも本格的にグループとして外に打って出ていくフェーズに入り、あちこちのフェス系対バンに出番を求めることになります。

初遠征が山中湖だったり、大阪造船所フェスで初めて関東を出たり、NATSUZOMEや関ヶ原の初出場もこの年でした。

その行く先々で、常にハニスパは我々の何歩も前に立っていて、こちらが立つよりうんと大きいステージでの姿を見せてくれていました。いつしか、ライブ出演が発表されるたびにラインナップを見ては「ハニースパイスRe.」の文字を見つけて嬉しく思う自分がいました。

また、その頃こちらがみなとみらいブロンテや渋谷DIVEあたりの箱でステップアップしながらワンマンをやっている中、ハニスパはもっと大きな渋谷ストリームホールや、22年末には史上最大の東京ドームシティホールでのワンマンへ挑戦していました。

今こうしてあいみゅうの3年間を振り返ってみても、直近のワンマンは渋谷ストリームホールでしたし、次の大きな目標として掲げているZepp Shinjukuもそうですが、これまですでにハニスパが先に歩んだ道のりを追いかけている形になっています。

いちあいみゅうのオタクとして、ハニスパにはずっと自分たちがこれから行くべき先の姿を見せてもらってきたと感じています。いろいろなグループと交流してきましたが、これ以上ないくらいの「先輩」「師匠」的ポジションだなとずっと思っていましたし、常にそんな目線の先で尊敬に値するパフォーマンスを見せてくれていたるなちゃんの卒業はそういう意味でも寂しいことです。

 

個人的には、22年の夏に1年ぶりに、今度はハニスパとしてのライブで柏ThumbUpにまた来てくれたのが嬉しいことでした。

今のところ、「知っているアイドルが柏でライブするのを見に行く」はこのときだけです。(それこそいつかあいみゅうにも追いついてほしいところだけど)

まだ声出し可否が微妙な時代に、特に何も告知なくいきなり声出しライブだったのもいい思い出です。

(特典会中に帰宅→帰還するオタク)

(この日ばかりはオレンジ色の飲み物飲んでる)

 

また、今もあいみゅう史上に残るイベントとなっている22年夏の「Wicky FES」。

ここにも、ラインナップの一員としてハニスパがいました。

実はその当時のブログバイネームで挙げたのが「高尾奏音」「愛崎ユウナ」「天宮るな」の3名。

アイプラと絡めて紹介~~みたいな体裁で名前を挙げていましたが、今だから言えるけどこれは三者を知っている立場から善意で紹介する皮を被っての我田引水の限りを尽くした全力の贔屓です。

そのおかげでアイプラのオタクの何人かがオレンジ振ってたのも見れてよかったし、先の2名に並んで名前を出したくなる程度には好きだったということです。

今となってはもうこの3名の並びを再び見る密かな夢は叶わなくなってしまったのが心残りではありますが、そもそもこのときに実現したことが大きいのであって、これは一生忘れないと思います。

(ちなみに弊ブログのことを我ながら自筆の伝説譚みたいな位置付けでやっているので、弊ブログの中に名前を出すというのは伝説として後世に語り継ぐみたいなニュアンスを持っている)(マジでのんのんの中高生時代のことに関しては伝説級の情報量あるとは自負してるけどね)

 

知り合ってからの3年連続、生誕祭にも欠かさず駆けつけることもできました。

(実はいろいろ重なってあいみゅうでも3年連続見れていないメンバーがいるくらいなので、その中で皆勤というのは自分の中でいかに大きい存在であるかを端的に表している)

特に2回目(23年)はあいみゅうもゲストとして呼んでもらえて、それはもうこの上なく光栄で嬉しいことでした。(もう生誕祭もないのだなぁ…と思うとまた寂しくなる)

生誕といえば、逆にこないだのうなちゃんの生誕の頃に「もうそろそろで今年も楽しみ」的な話になったときに「初年度は緊張して不安がってたのに、すっかり成長したね」みたいなことを言われて、自分の中ではすっかり忘れてて言われてみればそうだったなぁと思い出させられたことがあったんですが、勝手ながらオタクとしての成長を見守ってもらっていたような心持ちで、こういうのもほんとありがたいことです。なんか自分の中でも知らず知らずのうちにだけど、こうしていつも支えてもらっていたのだなぁと感謝せずにはいられません。

思い出せば出すほど色んな思い出があります。

 

好きなポイント発表ドラゴン

るなちゃんと言えば、その代名詞は経歴と鍛錬に裏打ちされたダンス。

体のパーツひとつひとつの使い方、全ての瞬間全身の至る所にまで意識が集中しているようなキレ、どこを取っても一流のものでした。

どんなにがんばってもうまく表現しきれない自分の語彙力を恥じ入るところですが、いつ見ても次元が違うと思わせられるダンス能力の持ち主でした。

第一印象が「顔、良!w」だったのは再三書いているとおりなのですが、よくよく分解していくとなぜ顔を見ているかというと「なんだかステージ上で目が行く」であり、じゃあなぜ目が行くのかというと全てにおいてステージ上での所作がレベル高く洗練されているからだったんじゃないかな、というのが最近になって思うところではありました。

それだけのなかなかお目にかかれない実力、余人を持って代えがたいものがあります。

(これは大げさな表現かもな、と思いつつも。

先日、たまたま誘われてTWICEのライブを見に行ったんですよ。そこでみんなパフォーマンスすごくて呆気にとられちゃったんですが、自分の中でるなちゃんのダンスもどちらかと言えばTWICEのダンスと同じカテゴリー、たくさんの人を魅了することができる領域に入るなと思いました。)

 

また、アイドルとしての在り方、志の部分も尊敬できる人間だったなと思っています。

ステージ上ではパフォーマンスに妥協しない、決して手を抜かない姿勢がいつもあったなと感じていますし、人格の部分では礼節の芯がしっかりしていて信頼の置ける人でした。

特典会ではあいみゅうの、というかWickyの話によくなったんですが、利根川さんのことすごくリスペクトしてるんだなぁというのが伝わってきたし、それに付随して自分もなんだか畏れ多くも「その利根川さん率いるユニットをいつも見ていて目が肥えている人間」みたいな位置付けだったような気がするし、自分も自分でそうした看板背負ってるから背筋が伸びるし。(そんな関係だったけど、卒業ライブ前夜の夜中にひっそり配信してたところにたまたま参加することができ、しょうもないダジャレをコメントして「やかましいわ!w」って返され、ちょっとそういう砕けた感じも垣間見ることができていい思い出になった)

卒業ライブでアイドルとしてのキャリアを締めくくる際に、関わってくれたファンの今後の幸せを願いつつ去っていったところも「らしさ」を感じます。4年半もの月日をかけて研ぎ澄まされた果ての、綺麗な卒業ライブでした。

 

終わりに

これだけいろいろと書いてきましたが、まだまだ出そうと思えばいろんなことが書けそうです。それくらいよく見てきたアイドルって自分には他にそうそういないし、るなちゃんの代わりなんてどこ探しても見つからないと断言できるので、卒業は心から惜しいです。

このように、自分もあいみゅうをきっかけに本格的にこうしたライブを見るようになったわけですが、今日までの3年強、いつもハニスパが、るなちゃんが憧れの先を駆け抜けていました。おかげで自分のここまでの道のりは優しく照らされ、明るいものとなりました。

自分は今こうして歩んできた以上、どうしてもるなちゃんのことが一番ではなかった身ですが、せめてものはなむけとして最大級の感謝を表明したいです。

この先の人生も幸せなものになることを心より願っています。

 

あいみゅうのライブにはほんと全力大歓迎なのでいつでも来てね!!!!!!!!!!!!!!!!)